okikamuro island fan club, 沖家室島ファンクラブ|Kamuro party かむろ会

大谷 博

大谷 博

 北海道


北海道在住の沖家室二世

エッセー

北海道在住の沖家室二世

大谷 博                                                    2017/8/29 投稿


 かむろ会のホームページを時折拝見させていただいております。私は、両親ともに沖家室出身で、こどものころ、夏休みや冬休みにを利用し、毎年のように島を訪ねていました。みなさまをとても身近に感じましたので、投稿させていただくことにしました。


 

 自己紹介ですが、1952年、広島県大竹市生まれ。小方小・中学校を経て広島の舟入高校に入り、父の転勤に伴い、神奈川県の横浜平沼高校に転校、1971年に北海道大学(文類)に入学しました。5年後に同大文学部史学科西洋史学専攻課程を修了、在学中に婚約したこともあって、そのまま北海道の企業に就職しました。41年勤務した北海道建設新聞社をこの2017年春退社し、今は無職。趣味はクラシックギターとテニスです。


 

hiroshi otani guitar


 

 父は大谷清一(故人)、母は大谷サトコ(東京都杉並区在住、86歳)。大谷松治郎氏は、祖父(大谷千一)の兄弟で、ハワイのおじさんとして親戚中の尊敬を集めておりました。従兄などしゅは長期滞在させていただき、当時(1960年代中期)国内ではほとんどやる人がいなかったサーフィンを覚えて帰りました。サーフボードだけを抱え、短パンをはいたワイルドな姿で羽田空港に降り立ち、迎えに行った母親(私の父の妹)のひんしゅくをかったそうです。

 母の旧姓は湊石ですが、父親が早くに亡くなり、祖母は旧姓の原に戻していたそうです。私の知っている親戚で湊石姓の方はいません。


 

 小学生のとき、洲崎の盆踊り・仮装大会で2年続けて1等賞(個人の部)に選ばれ、清酒一升をいただいたのが忘れられない思い出です。初参加の時は「火星から来た幽霊」、2回目は「インドの蛇使い」です。こどもは一人だけだったので、審査員の方のひいき目があったんでしょうね。

 親戚のおじさんの小さな船に乗せてもらい、手から直接糸を垂らして魚釣りをしたことや、その船からの素晴らしい景観など、ほかにも思い出が山ほどあります。こうした思い出を整理中ですので、まとまれば、改めて投稿させていただきたいと思っております。


 

 話は変わりますが、母は昭和20年に沖家室国民学校を卒業し、同級生と一緒に、広島で国鉄に就職し車掌見習になりました。原爆に遭った時もその友達と一緒だったそうです。被爆後、広島市内(己斐)に住んでいたその方のお母さんの家に身を寄せ、大変世話になったと聞いています。

 私は、母の被爆体験を語り継ごうと思い、現在、母から聞いた話を整理しています。その同級生の方のご子息で、被爆の体験を聞いていらっしゃるなら、ぜひ内容を教えていただきたい。

 母のおばさん(湊石姓)、はんこ屋さんも当時、広島に住んでいた沖家室出身者と聞きました。

 また、戦時中や戦後の沖家室の生活についても調べたいと思っております。母からもいろいろ聞くつもりですが、遠方で暮らす親不孝者なので十分な時間がなかなか取れません。


 

 なお、東京、神奈川には、沖家室をルーツとする親戚が何人か暮らしておりますので、折を見て「かむろ会」のことを知らせておきます。


 

 泊清寺ご住職の新山様、母と訪ねた際、お寺の名称を間違えまして大変失礼しました。


 

大谷 博


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