元日の朝、今年も穏やかな朝の風景を見せてくれた。
昨年と同様、伊予の山並みはくっきりと輪郭を見せ、陽の光に輝いた。
ここ数年、家室の元日の朝は穏やかな、いい景色を見せてくれている記憶がある。
神様へのお供え、御神酒、簡単なおせちで一人悦に入り正月の朝を楽しむ。
父母共に生前はそれなりの正月を過ごしていた記憶がある。父は元日、近くの井戸から「若水」を汲み、それで雑煮を祝った。2日には舟に恵比須社にと、酒とスルメ程度の物を持ち、清め、無事を祈っていた。母は諸国方々を詣でると言い、3日頃には家室の神様、仏様、先祖知人の墓を訪ねていた。貧しいながら各節目等には祝い事をしていたように思える。
さすがに、このまねは出来ないが、道すがら、先祖父母の墓、友人の墓参りから始める。古い墓園を回ると「チラサキ」を供えている墓があり新鮮さを感じる。我が家もそうであるが、どの墓も造花の花で飾られている。時間が早いのか合う人はいなかった。お寺では住職の家族が歴代の住職の墓でお経を上げ、手を合わせているのに出会う。新年の挨拶をして帰宅をする。
30日に広島の正月の飾りを行い、帰島の途に着いた。31日が仏滅で帰宅後は掃除をはじめ正月の飾りを行う。御神酒を上げ、お下がりで飲み始める。本は発行直後のプレジデント『人生を変える「捨てる」習慣』。何行か読むと全く理解できず放り投げる。数年前に特集を組んだ、五木寛之の「捨てない人生」の方に共感を持つ。「楽しく生きるより、心豊かに生きたい」。捨てる物が身の周りにあるほど豊かではなく。頭の中にも詰められる余地は充分にあると、つぶやいてみる。
31日は、昨日飲んでいる時に、家の前の空地の「セイダカアワダチソウ」枯れているのが目に止まった。一念奮起、刈り取ることにする。しかし実際作業を開始すると手強い。刈っては集めを繰り返したが1時間余りで作業を終える。年末の忙しさを理由に怠けていた新聞のコラムの転記、日記の記載を行い時間を潰す。
16時からの「除夜の鐘」に参加する。今年は参加者が少なく20人に達しなかった。各自は思うように突き、今年も終わる。
1日家族が11時前、墓参りに帰島。昼食で祝った後、離島する。
何でもないことが幸せとつぶやいてみる。