
久しぶりに帰省した。記録を見ると、前回から3年が経っていた。それにしても、いいお天気に恵まれ、気持のいい旅となった。我が家を出る前は、記録的な酷暑に悩まされた。全国各地で40度超えが続出し、干ばつの大飢饉さえ心配されていた。そしてちょっと間をおいて、今度は西日本中心に線状降水帯が大暴れした。われらは、その合間を縫っての二泊三日の“いい旅”となったのだ。
今回は、一族9人揃っての帰省だった。これだけの人数は、12年前に母の三回忌を催して以来である。われら夫婦は高齢の域に達し、気軽に旅に出られる状況にはなくなっていた。それをみんなで気遣ってくれた結果のようだ。あいにく、長男夫婦は海外勤務で不在だが、その子供2人は都合をつけてくれた。そして、長女の家族は孫息子のお嫁さんも加わっての団体旅行となったのだ。
現地は一段と寂しくなっていた。空き家はさらに増え、商店は廃業して街はいっそうさびれていた。われらの子供の頃は、山は松の緑、段々畑はミカンの木に覆われていた。それが、畑は放置され、雑草や雑木に覆われていた。松林は、マツクイムシに食い荒らされ、いまでは竹藪へと代わっていた。山々はみどりを維持してはいるが、かつての色とは“様相の違うみどり色”に覆われていた。
かつて、みんなで帰省するときは実家で過ごしていた。しかし、いつでも使えるようにしておくためには、それなりの維持管理が必要である。建物の維持管理費用なもちろん、電気代や水道代もきちんと払い続けなければならない。とくに、入浴や炊事のための電気温水器の維持費用は無駄の塊のようなものだった。結局、母の三回忌が終わった12年前に、解体に踏み切らざるをえなかった。
それでも、周辺にはそれなりの民宿も揃っていた。しかし、時が経ってみると、その施設も縮小したり廃業したりで、一段と寂しくなっていた。そこで、今回は思い切って近代的なリゾートホテルを利用することにした。楽しむ施設はたくさん揃えられており、同行の家族みんなもよく遊んでいた。しかし、高齢者にはちょっと馴染みにくいものが多く、もっぱら見物に終始することになった。
いまひとつ、不便を感じたのは、食事を気軽にできる場所が少なくなったことである。うどん・そばや丼物などを気軽にいただくことのできる“食堂”が見当たらなくなっているのだ。到着した日など、その施設を探して何十キロも車で走り回ってしまった。店の顧客を、観光客に特化せざるを得ない状況にあることが、そんな現象を呼んでいるのだろう。
一族揃っての帰省は今回が最後になるかもしれない。われらが高齢化して、だんだん動けなくなるためだ。孫たちがそれぞれ独立し、要職につくようになるとなおさらである。そんな心配はともかく、今回はいい旅となった。
(2025年08月12日 藤原吉弘)