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ルーツ研究

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勝山 真人

京都市


沖家室島はルーツ

外入の大工棟梁・友澤与惣兵衛

勝山 真人 2019年02月03日 投稿

 東和町誌には「沖家室から外入に移住した友澤与惣兵衛という伊予松山藩の御手大工」のことが記載されています。いつ頃の人物なのかわかりかねていたのですが、新たな記述を見出しました。

 

 「東和町誌−資料編−第三巻 東和町の社寺文化財」に外入の浄念寺の文化財として、「紙本墨書薬醫門建方出来(絵図)作者大工棟梁友澤與惣兵衞、時代天保十三年(1842年)」とあります。伊予松山藩との関わりは不明ですが、この人物のことだと思います。

     

 「与惣兵衛」という名前から、「惣兵衛」の弟か息子と考えられます。当時の年齢が不明ですので断定はできませんが、年代が合致するのは分家三代目・惣兵衛(1771〜1805、六代彦七の弟)の弟か息子ということになります。つまり五代彦七(〜1785)の息子で六代彦七(〜1831)と惣兵衛の末弟か、惣兵衛の息子で左兵衛(1803〜1864)の兄弟だった可能性が高いです。大工の棟梁、また寺への奉納となるとそれなりの年齢だったと考えられ、六代彦七の末弟だったのではないかと思います。

 

 また東和町誌によりますと、外入の西光寺の檀家に友澤姓が見られ、安政3年(1856年)から苗字を名乗ったと記されているそうです。これは与惣兵衛の子孫ではないかと思われます。




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