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ルーツ研究

松本 昭司 

松本 昭司

「鯛の里」オーナー

沖家室島はルーツ

家室の由来は?

松本昭司    2021年5月21日 投稿


 愛媛県西予市の下泊(しもどまり)、旧西宇和郡三瓶町(みかめちょう)に加室浦という地区がある。沖家室も古い書物には同じく加室という記述がある。南北朝の時代に加室合戦があり、それを記録した「忽那一族軍忠記」にこの島が加室と書かれてある。同じ加室という地名に歴史的なつながりはないのだろうかといろいろと調べているが今ひとつわからない。加室という地名をもつところは、ほかにはないように思える。


 1606年に今の我々につながる人たちが住み始めた。関ヶ原の合戦(1600年)の6年後。その前にどんな人が住んでいたのだろう。


 東和町誌によると、伊予の河野氏が関ケ原で滅亡しその家臣の一行が沖家室に住み始めたのは1606年。それ以前は無人島だった。1588年(天正16年)に豊臣秀吉によって海賊禁止令が出されてから1606年までの18年間が無人島ということになる。それ以前は大内氏の勢力下であった大島海賊の統領桑原氏が沖家室・森・浮島の海賊をしていたと思われるが、厳島の合戦で陶方につき宇賀島と加室の海賊衆が滅びた可能性もある。つまり、沖家室は二度無人島になったかもしれない。


 しかし、それ以前の記録がない。宮本先生の調査によると、この島の中腹に国東塔と思われる五輪塔の残欠が残されており、かつては豪族がいたのではないかと推論している。以前に新山住職と、島の歴史に詳しい親戚の石井じい様が下泊を訪ねたが、確かな情報は得られずまたの機会となったという。ただ、集落から漂う空気はこの沖家室と同じものを感じたと言う。古い時代に沖家室の人々が移り住んだのか、その逆なのだろうか。かつては、遠くは中国青島(ちんたお)まで櫓を漕いで漁に出たり各地に分村をつくった島民である。不思議ではない。


とにかく一度自分の足で訪ねてみたい。宇和海の海の幸が豊富なところでもある。そっちかー!(××)!。ところがコロナで行けずじまいなのである。あわせて「土佐源氏」の馬喰爺さんが住んでいた竜王橋にも訪ねたい。


画像はGoogleマップから。下泊港。


下泊港
下泊港


加室合戦の記述


加室合戦


松本昭司


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